どんぴんからりん

昔話、絵本、創作(短編)などを紹介しています。

三びきのコブタのほんとうの話

  三びきのコブタのほんとうの話/ジョン・シェスカ・文 レイン・スミス・絵 いくしまさちこ・訳/岩波書店/1991年

 

 「三びきのコブタ」の話を 知っているかい?。知らないなら さきに読んでから オイラの言い分をきいておくれ。

 フェイクなんだよ、この話。オオカミにとっては酷なんだよ。

 

 オイラは、だいすきなおばあちゃんの誕生日に、バースデイケーキをつくっていたんだよ。そのときオイラは、ひどい鼻風邪をひいていた。とちゅうで砂糖が切れたので、おとなりさんに、砂糖一カップわけてもらおうと、でかけたんだよ。隣の家にすんでたのが、こぶただったんだよ。そいつの家は、藁でできていた。

 ちゃんと挨拶したんだよ。でも返事がない。帰ろうとしたんだが、そのとき くしゃみが でたんだよ。すごいくしゃみで、藁の家が、まるごとバラバラになって、藁の山の真ん中には、一番目のこぶたが、ぴくりともせず、しんでいた。

 砂糖はまだ手に入っていなかったので、オイラは、となりの木の枝でできている家に出かけていった。その家には、一番目のこぶたの弟が住んでいた。玄関のベルをならしても返事がない。こぶたは、「かえれよ、オオカミ。いれてやらないよ」とどなりかえしてきたんだよ。ドアの取っ手をにぎったとき、またくしゃみがでたんだよ。それで、この家も、壊れてしまったんだよ。ほこりが しずまってみると、そこには、二番目のこぶたが ぴくりともせず、しんでいた。食べ物っていうのは、そのまま おいとけば くさっちまう。そこでオイラは、するべきことをした。ごちそうに ありついたってわけだ。藁の家のこぶたもいただいたから、オイラはすっかり満腹。

 それにしても、だいすきなおばあちゃんのバースデイケーキに使う砂糖は、まだ手に入っていない。そこで、レンガの家の玄関をノックした。すると、れいぎしらずのこぶた。「とっとと きえうせろ、オオカミめ。もう二度とくるな!」と答えやがった。ひどいやつじゃないか。しかたがないから 家にかえって すてきなバースデーカードでも作ろうと思ったのさ。そのとき、またくしゃみがでた。三番目のこぶたは、「おまえの おばあちゃんなんか、くそくらえ!」とさけんだ。おばあちゃんのことを、こんなふうにいわれたら、頭にくるぜ。それでこぶたの家のドアをこわそうと、懸命になっていたら、おまわりさんが やってきた。

 で、新聞は、オイラのことを悪いオオカミとかきたてた。オイラがこぶたを二匹食べたことを探りあてた。砂糖をわけてもらいに いったなんて、はなしとしては、ぜんぜんおもしろくない。だから話をでっちあげ、悪いオオカミにされちまった。

 これが 正真正銘の ほんとの話。オイラは悪いことなんか ひとつも してやしない。

 

 おかれた立場で言い分も様々。

 でも このオオカミ ほんとうにおばあちゃんがいたのかな、鼻風邪だったのか?

 どこまで信用できるかな?

 

 刑務所の看守が、ぶたというのもオオカミには不利。

 

 ほとんど図書館の本を利用させてもらっていますが、貸出記録をみると百人以上の方が借りていました。ほかの絵本で、百人をこえるというのはまれなのですが・・。

 残念なことに閉架図書にありました。

ぼくのおじさん

   ぼくのおじさん/アーノルド・ローベル・作 三木卓・訳/文化出版局/1982年

 

 ゾウさんの とうさんとかあさんが、船にのって旅に出た。ところが嵐になって船は帰ってこない。

 ひとりでしょんぼりしていた”ぼく”のところに、やってきたのがおじさんゾウ。むかえにきてくれました。(おじさん ドアを あける)

 このあと八話がオムニバス形式で展開していきます。

 おじさんの顔には、浜辺の砂粒よりも、そらの星よりもしわがたくさん。

 おじさんは、夜明けに挨拶し、素敵なお庭の花にも ごあいさつ。散歩にでかけると、背中も、ひざも、足も、鼻も ぎしぎし。お話をしてくれたり、”ぼく”のうたをつくってくれたり。

 おじさんは、しぜんに、”ぼく”の悲しみや寂しさを やわらげるように、よりそっています。

 おじさんの家の絵を見て、悲しくなった”ぼく”。すると、おじさんは、洋服ダンスに入っていたネクタイ、帽子、シャツ、ズボン、上着も全部重ね着。”ぼく”は、笑いすぎて 悲しいことなんか 忘れてしまった。(おじさん ふくを きる)

 

 一話一話のオチも素敵。

 ランプを手に取ると、ランプから ちいさな声。魔法のランプだと、願い事をしていると、いっぴきの ちいさなクモがはいだしてきて、「おいらとしては、このランプの けしてほしい。ここは おいらの 巣だが、もう あつくなって あつくなって」といわれると、おじさんは ランプを たなにもどしました。そして、ふたりは、月の光で ごはんを たべました。(おじさん ランプを つける)

 

 とうさん かあさんが無事だという電報がきて、ふたりで、家に帰る汽車のなかでのおじさんの気持ち。「ああ、またひとりぼっちか。」かという おじさんの声が聞こえてきそう。 

 

 親との悲しい別れからはじまるので、どうなるんだろうと心配したくなるのは子どものうけとめかた。大人だったら、最後はかえってくるだろうと予想できるので、どんなさいごかなと気になるところ。

 おくりかえす汽車の中で、おじさんが 数えたのは ”ぼく”と いっしょだった 日数。 ”ぼく”をなぐさめるつもりが、じつは おじさんが なぐさめられていた日々。

 ひとりぼっちのおじさん。また 坊やのところへ あいにいったのかな?。

ガザを知っていますか?

   ガザを知っていますか?/文・桑山紀彦 写真・モハマッド・マンスール、桑山紀彦/イマジネイション・プラス/2026年


 いまイラン戦争でガザの報道はあまりされなくなっています。

 またイラン戦争では、アメリカの攻撃の映像は多数流れていますが、その反面イランの人びとがどんな状況におかれているかは、ほとんど報道されていません。ウクライナも同様。

 紛争地域に他国のジャナーリストが入りずらくなって、実態が報道できなくなっているのでしょうか。

 

 副題に、「ガザの真実を伝えようとした記者 モハマッド・マンスール」とある写真絵本です。

 モハマッド・マンスールは、現地で医療支援活動を行なっているひとりの日本人医師(作者 桑山紀彦さん)との交流を通じて、ガザに関する記事や写真を報告するジャーナリストとして活動することになりました。

 

 食事も睡眠も、学校も仕事も当たり前ではない地域。

 瓦礫が散乱し、テントが立ち並ぶ街。それでもそこには、働き、遊ぶ子どもの写真も数多くのせられています。

 

 一枚の写真が世界に衝撃を与えるケースがあります。そんな取材をする数多くのジャーナリストが亡くなっていますが、この人たちが残した写真などは過去の歴史として永遠に残ります。二十八歳で亡くなったモハマッド・マンスール」の写真もそうです。

 

 平和な暮らしはだれしもの望みですが、それでも戦争がなくならない現実に暗澹とする思い。

 「にくむべきは戦争であって、人ではない」のですが、戦争をおこすのも人。もちろん庶民がおこすはずはありませんが、いったん戦争がはじまると、これを支持する人がでてくるのも複雑です。

 

 またこうした紛争地域で活動する日本人のことも知ることができました。

悪魔とそのおばあさん・・グリムのあまり聴かない昔話

    完訳グリム童話集7/野村 泫・訳/筑摩書房/2000年

 

 むかしおおきな戦争がありました。
 王さまは兵隊たちに給料をすこししかやらなかったので、兵隊は暮らしをたてていけず、三人の兵隊がいっしょになって脱走しようと、小麦畑にかくれました。みつかると首つり台いきです。

 明日になれば移動すると思った三人ですが、軍隊はさきへはすすまず、畑のまわりにとどまっていました。三人は、二日二晩小麦畑にいましたが、食べるものもなく、腹がペコペコになり、もうすこしで死ぬところまできました。

 そうしたところへ、火を吐く竜が一匹空をとんできました。竜は悪魔でしたが、兵隊の話を聞くと、「おまえたちが七年間おれにつかえるつもりがあるなら、軍隊のまんなかを、つれだしてやるがな。」といいます。えり好みはしていられない、うけいれるしかないと三人は返事しました。

 悪魔は三人に、小さなむちをわたしていいました。「このむちでびしびし打つと、ほしいだけ金がとびだしてくる。だが七年たったら、おまえたちはおれのものになるんだぞ」。そのあと悪魔は三人にノートをつきつけ、名前を書き込ませました。「だが、まずそのまえになぞなぞを出す。それがとけたら、おまえたちはおれの手からはなれ、自由の身になれる。」。そういうと竜はとんでいってしまいました。

 三人は、小さななむちで金をだして、うきうき派手に暮らし、ぜいたくな服をつくらせ、世の中を見てまわりました。すぐに時はたち、七年がおわりにちかずきました。

 三人が野原に腰を下ろし、しょんぼりしていると、おばあさんがやってきてわけを聞きました。どうせ助けてはもらえないと思いながら、三人は、わけをはなしました。魂を悪魔に売り渡したので、金はうなるほどもらったこと、七年たってだされるなぞなぞが解けなかったら、自分たちは悪魔の者になってしまうことも。

 三人のひとりは、おばあさんのいうとおり、ずんずん森の奥へ入っていって、岩小屋を見つけました。小屋の中にはひどく年とった女の人が座っていましたが、それは悪魔のおばあさんでした。男がこれまでのことをなにもかも話すと、地下室のふたになっている大きな石を持ち上げ、そこにかくれるようにいいました。おばあさんは、なぞなぞのことを聞いてあげるから、よく聞いているようにといいました。

 悪魔がいうなぞなぞの答えはこうでした。「大きな北海に死んだおながざるが一匹ころがっている。それをやつらの焼肉にするのさ。くじらのあばら骨、それをやつらの銀のスプーンにする。がらんどうになった古い馬の足、それをやつらのワイン・グラスにするんだ」そう言うと、悪魔はベッドへいってしまいました。

 七年たつと、悪魔はノートの署名をみせ、「まずおまえたちに、食事をさせるが、どんな焼肉を食べさせるか」「おまえたちのスプーンはなんだ」「おまえたちのワイン・グラスはなんだ。」と聞いて、なぞなぞをあてられると、大きな叫び声をあげてとんでいってしまいました。

 三人には小さいむちがありましたから、金を欲しいだけ打ち出し、死ぬまで楽しく暮らしました。

 

 兵隊が脱走するというのも珍しい。

 悪魔のところのおばあさんというのは、ほかの例でも主人公を助けてくれる存在。おばあさんにとっては、悪魔は孫、孫を応援?しないのはなぜだろうか。

 

 ここのなぞなぞのひとつひとつにも意味がありそうだが。

きつねと黒ライチョウ・・ロシア

   動物たちの冬ごもり/再話・トルストイほか 訳・河葉田たかこ 絵・フイリップ・キー/日本エディタースクール出版部/2003年

 

 イソップ寓話をおもわせるA・トルストイの再話。黒ライチョウ対キツネの対決!

 

 キツネが木の上にとまっている黒ライチョウに、「草むらにおりてくれば、散歩をしたり、話もできる。あなたの素敵な歌声も聞けるわ」といいました。

 黒ライチョウは、「地面におりるのは、心配なんだ。だって、ぼくたち鳥にとっては、地面を歩き回るのは危険なんだよ。」

 キツネは、黒ライチョウの心配をやわらげるように、「いまは、どこの野原でも山でも平和に暮らすようにって、おふれが出たのよ。だから、動物たちは、もう誰もお互いにおそったりしなくなったのよ」と声をかけます。

 黒ライチョウは、「おや、あそこに犬が走ってくるよ。以前だったら、きみは逃げなければいけなかっただろうけど、もう、きみは、そんな心配はいらないね」。

 それを聞くと、キツネは、後ずさりして逃げ出そうとしました。

 黒ライチョウは、「あー、きみは どこへいくの? だって、犬は きみをおそったりしないんだろう」

 黒ライチョウは、キツネをからかったのでしょう。キツネは、「おふれを知らない人もいるわ。犬は、きっとおふれを聞いていないわ」といって、逃げていきました。

もんぐらかっつあんの歌

   もんぐらかっつあんの歌/飯野和好/童心社/2026年

 

 小さな観光町の駅前広場に、だれがつけたかのか そのよびなも もんぐらかっつあん、のそりと あらわれた。

 「おーい、おーい、もんぐらかっつあーん もんぐらかっつあーん」子どもたちがよぶと、いつも「ホイ ホイ ホイ」と、いつもひょうきんなおどりでこたえる。

 「うろろーん うろろーん」 ぴょんぴょんぴょん。

 もんぐらかっつあんは、かわべにつくった こかげの こやで ひとやすみ。

 もんぐら かっつあんはいつも、町のゴミ拾い。

 暑い夏の日の夜、 いつも とおりを きれいにしてくれる もんぐらかっつあんに お茶をだしてくれる旅館のご主人が 話をきいた。

 「もんぐらかっつあんは、東京の生まれで、こんどの戦争で南の島におくられて、たいへんなめにあってなんとか帰ってきたら、家も家族も空襲で、みんななくなってしまって、それでなんだかぼんやり放浪の旅をしているんだと。」

 朝がきて、昼になっても 駅前広場の ゴミ入れのところにもんぐらかっつあん あらわれない。子どもたちがよんでも だれがよんでも もんぐらかっつあん あらわれない。

 「うろろーん うろろーん」耳に のこるのは、もんぐらかっつあん、歌声ばかり。



 作者が、子どもの頃、埼玉県長瀞町の駅前広場でよくみかけた不思議なおじさんの物語。そしていつの間にかいなくなってしまったあの人はどんな人だったのだろうかと
ずーっと気になっていて、絵本を作りあげたといいます。

 川にはいって、生きている実感をもった もんぐらかっつあん どこへいった?

 ごっついごっつい絵。ゴミに手をあわす もんぐらかっつあん。ゴミのように死んでいった人びとへの悲しみでしょうか。  

 
 戦争を記憶している人びとが、ほとんど亡くなって、日本はどこへいく?
 
 ただ、子どもたちに うまくつたわるでしょうか?

金のとさかのおんどりと石臼・・ロシア

   動物たちの冬ごもり/再話・トルストイほか 訳・河葉田たかこ 絵・フイリップ・キー/日本エディタースクール出版部/2003年

 

 1800年代後半、はじめてロシア民話集を集大成したというアファナーシェフの再話。

 トルストイの「金のとさかのおんどり」は、語られる方も多いのですが、この話は聴いたことがありません。おじいさん、おばあさんがせっかく手に入れたふしぎな石臼を、貴族から取り返すに行くおんどりの話。

 

 貴族が盗んだ石臼は、まわすとプリンやピローブ(ロシア風パイ)が次々にでてくるふしぎな臼。

 おんどりが、「貴族よ。貴族! ぼくたちの、大切な大切な石臼、返しておくれ!」とさけぶと、おんどりは、井戸に投げ込まれたり、燃えペチカに投げ込まれてしまいます。
 昔話のパターンでは、おんどりがでかけるときに、旅で出会ったものに助けられますが、この話では、おんどりが呪文を唱え、ピンチをひとりで切り拓いていきます。

 冒頭は、おじいさん、おばあさんが、どんぐりを一粒、縁の下へ落としたところからはじまります。

 どんぐりがどんどんおおきくなり、ふたりは床に穴をあけ、天井を取り壊し、屋根もとりはずします。やがて高い空までとどくほど。ひろってきたどんぐりが底をつき、おじいさんが袋をかついで、ゆっくりゆっくり空の上へ行き、みつけたのが金のとさかのおんどりと石臼でした。