白いりゅう 黒いりゅう/賈芝・孫剣冰・編 君島久子・訳/岩波書店/1964年
りゅうでもとらでもほんもののようにほることができるし、みあげるような立派な建物でもたやしくつくってしまう腕前のヤン名人が、ひとりっ子のチーサンをつれて、故郷にもどるとちゅう、「竜が淵」のそばをとおりました。この「竜が淵」には、いっぴきの黒いりゅうがすんでいました。
黒いりゅうは三年ごとに、六月の二十四日の、黄昏時なると、黒雲をわき起こしとびだします。空は真っ暗になり、はげしい風や雨があれくるい、家を流し、幾百もの田んぼも、みわたすかぎりたいらな砂浜にしてしまうのです。黒いりゅうは、その洪水にのって、あばれながら、大海におどりこみ、山のような大波をおこして、船をひっくりかえします。こうしてりゅうは、まる一昼夜あばれまわると、海からもどりながら、またひとあばれして、やっともとの淵にかえっていくのです。
この三年にいちどは襲われる災難のため、パイ族の人びとは、山の上に避難して、草の根や木の皮をたべるおりほかに、どうしようもないのです。洪水がおさまってから、やっと山を下りて、砂にうずまった田んぼを起こし、家を建て直します。
さて、ヤン名人とその子のチーサンが淵近くをとおりかかり、のどがからからにかわいたチーサンは、水をのもうと、銅の子なべを水の中に入れました。その時、黒い雲が水のなかからふきあがり、そのなかから、いっぽんのりゅうの手があらわれて、なべと子どもを、いっしょにつかみ、淵の中へ、ひきずりこんでしまいました。あとには、チーサンのよごれたわらじが、おちていました。
ヤン名人は、黒いりゅうとたたかってやろうと思いましたが、とてもかないそうにありません。ひとりのおばあさんが、泣いていたヤン名人を山の上につれていってくれました。その人々の中にいたアーパオという男の子とアーフォンという女の子が、ヤン名人になつきました。
ヤン名人は、心を込めて、いっぴきのりゅうをほり、それに魂をいれて、淵にはなそうと決心しました。村の人たちの協力で、名人の仕事は、ちゃくちゃくとすすみました。
さて六月二十四日のおひるに、ヤン名人は、自分の指を噛んで、血を出すと、その血でりゅうの目や口、心はどをかきいれました。
やがて、嵐の中、空中で二ひきのりゅうが、たたかいをはじめました。
この戦いは、黒いりゅうの勝利におわりましたが、人々の心には、元気がみなぎってきました。だれもがおそろしがっていた黒いりゅうに、木ぼりのりゅうが、死に物狂いのたたかいをしむけたからでした。
ヤン名人は、なくなったチーチンや人々のためにも、もういちど、黒いりゅうと戦うことを決心しました。ある日、偶然にもあった友だちのかじやから助言をもらい、木のりゅうに鉄の爪、うろこ、牙をつけることにしました。
あくる年の六月二十四日、木のりゅうはできあがりました。大きなりゅうのまわりに、小さなりゅうが、八ぴきならんでいました。黒いりゅうは、九つのりゅうにおいまくられて、海のほうへおしやられてしまいました。このとき、男の子が、大きな白いりゅうにまたがって、八ぴきの小さなりゅうをひきつれ、大空のかなたから、とんでくるのがみえました。その子は、ヤン名人の子チーチンでした。しかしチーチンも九ひきのりゅうも、まっすぐに「竜が淵」の底深く、もぐっていってしまいました。このときから、この淵を「白竜の淵」というようになりました。
かなり長い話で、りゅうをつくっているさいちゅう、黒いりゅうが姿をかえて、ヤン名人にちかづき、仕事の邪魔をする場面もあります。
お話し会で聞いたことがあるのですが、こんなに長い話だったことにびっくり。