熊本のむかし話/熊本県小学校教育研究会国語部会編/日本標準/1973年
光徳寺の珍念は、頭が悪いうえに大飯ぐらい。和尚さんも和尚さんで、珍念を困らせて楽しんでいた。
ある日、和尚さんは珍念に、「十三里を買うてこい」と、使いに出した。和尚さんは、珍念が十三里はからいもとは気づかんだろうと、にやにや笑いながら待っていました。
ところが、珍念が買ってきたのは、ふかふかのサツマイモ。珍念は、すました顔で、「栗(九里)より(四里)うまい十三里ていいまっしょうが。」という。和尚さん、さては彦一どんにたずねたなと気がつきました。
和尚さん、今度は、一升どっくりに、二升かってこいという。珍念が一升どっくりに二升ははいりませんというと、和尚さん、「この馬鹿が。とっくりに聞いてみろ」と、にらみつけた。
珍念さん、彦一に相談するが、さすがの彦一もわからん。和尚さんが、とっくりに聞いてみろといったことをきいた彦一。とっくりに耳をつけて、じっと聞いてみた。
彦一、「とっくりどん、とっくりどん、あんたの腹には酒が二升はいるかいな。」「なんだ。一升しか入らんて?、どうして?」
「なになに、小僧さんの腹がいっぱい広がって、子どものくせにおとなより飯ば食うというのか。ははーん。小僧さんは腹いっぱいどころか、腹二はいも食うのだな。だから頭がぼんやりしとるって?」
彦一が、珍念に、いまの話をきいたかたずねると、「彦一どん、ようわかりました。和尚さんは、わたしの大飯食いを心配しておしえてくたったいな。」と、答えました。
そこで彦一どん。「えらか。ようわかったな。和尚さんもよろこぶばい。」
それから、」珍念は大飯食らいをやめて、よい和尚さんになったという。
頭ごなしにわいわいいうより、じぶんで気がつくように、もっていきたいもの。
